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受け継ぐものと創り上げていくこと(taku)

「世界のニナガワ」と呼ばれた演出家の蜷川幸雄が2年前に死んだ。彼と話をするどころか会ったこともないのに、その死を受けて、私は4年勤めたテレビ局のディレクターの仕事を辞め、演劇の世界に飛び込む覚悟を決めた。来年から劇場の職員として働くことになった。
今年27歳。何かを新しく始めるにあたって「若い」と言える年齢では、もうない。でも、飛びこまざるを得なかった。蜷川さんの、炎が燃え盛るような数々の「作品」と「生き方」に触発されたからだ。
ニナガワさんが演出した作品との出会いは約10年前、私が高校1年生の時にさかのぼる。演目はシェイクスピアの四大悲劇の一つ「リア王」だ。その舞台は、幕開けから衝撃的だった。室町時代以降600年続く「能」を思わせる舞台美術、北欧の狩猟民族を思わせるような毛皮の衣装をまとう登場人物たち。その見事な融合。そこで平幹二朗演じる「老王リア」が娘たちに国を追われ、財産や権威、あらゆるものを捨ててゆく物語が展開される。
高尚なシェイクスピア劇のセリフは、高校生の私には難しかったが、なぜか「理解しなければならない」という衝動に駆られ、無我夢中で観劇した。時代も国境も超える普遍性を持つ、その舞台に、何度も涙を流した。ニナガワさんは、イギリス人のものであるシェイクスピアと日本独特の文化や感性を武器にして、世界と戦い続けた演出家だった。

そんな偉大な演出家が死んだ後も、さまざまな演劇を熱心に観続けたが、客席に座っていると「何かがおかしい」と感じるようになった。どの演劇を見ても水を打ったみたいに客席から熱狂が無くなっていたのだ。そこで私は初めて気づいた。日本の現代演劇の世界は、蜷川幸雄という「カリスマ」によって支えられていたことを。そのカリスマが死に、蜷川さんが灯し続けた炎が今にも消えつつあることを。しかし、この炎を消してはならないと思った。
気づけば今の仕事を辞め、演劇の世界の門を叩いていた。これまで、演劇を観るだけで満足していた私が志すのは、一人の「カリスマ」によって作られる世界ではない「システム」の創造だ。

たとえば日本の伝統芸能である「歌舞伎」は、中村屋や成駒屋など、江戸時代から続く、血縁をもとにした「家」という制度を持つ。家の中で蓄積されてきた演技技術である「型」を代々の俳優が身につけ、400年にわたり、その子弟へと受けつがれてきた。つまり「家」という「システムの設計」が功を奏し、強固な足場を築きあげた。その足場をもとに、伝統の継承、そして革新が、今なお行われている。

演出家や俳優といったアーティストが世界で戦えるクオリティの作品を作り出すには、現代演劇の世界にも「システム」が必要ではないか。
実は、欧米には、俳優や演出家の教育法をはじめとした「システム」が存在する。欧米では舞台に限らず、映画やドラマでさえも、何百年にわたって蓄積されてきたシステムが根っこにある。それは諺に言う「Stands of the shoulders giants」と同じだ。巨人の肩の上に立つことで、より高みにある創造が行える。私は、欧米で積み重ねられてきたこれらの「システム」を学び、アーティストがよりクオリティの高い、世界で戦える作品を作る手助けがしたいと考えている。そのためには、異文化の深層まで入り込む高い語学力が必要だ。

ニナガワさんは、生前、自身がその才能を見出した俳優の藤原竜也に「アジアの小さな島国の、小さな俳優になるな。もっと苦しめ」と激励した。
彼のような日本にとどまらない才能を持つアーティストはたくさんいる。彼、彼女たちと共に苦しみながら、その才能を思う存分発揮させることのできる土壌を作りたい。彼らの魅力を世界に伝える「言葉」を持ちたい。これが「私が世界をめざすわけ」だ。



 

 
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